EPOCH MAKER

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厳密に言うとメガネナカジマの創業者である父は眼鏡屋ではありませんでした。
元々は”時計・メガネ・宝石 ナカジマ”という屋号で、「ナカジマ時計店です」と電話に出てていた感じです。
先代にとっては時計屋である意識が一番強かったと思います。
時計に関しては一級時計修理技師の第一号であったのでマイスタークラスの技術がありました。
しかし眼鏡に関しては一般的な範疇のスキル程だったかなと思います。

私が店を手伝うにあたり、眼鏡専門店にして欲しいと要望し”メガネナカジマ”となりました。
家業を継ぐとなった当時、時計屋として生計を立てられるような将来のビジョンを描くことが出来ず、眼鏡の専門店として生き残る道を選択しました。
クォーツ時計、デジタル腕時計が世の中を席巻し、時計は電池交換するよりも使い捨てだと言われていた時代でした。

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当時何故、眼鏡屋としてなら将来性があると思えたのかは、今でも明確な理由が分かりません。
眼鏡業界もディスカウンター形態が全盛で、個人店が戦える余地は多くありませんでした。
しかも、お洒落なハウスブランドがピークに向かっていたような市場感も知りませんでしたし、OAKLEYだって日本法人がありませんでした。

曖昧な記憶を整理すれば、眼鏡店の検査・加工・フィッティングなどのクラフトマン的な要素に憧れたんだと思います。
今になって考えれば、よっぽど時計屋の方がクラフトマンっぽくて職人気質なんですが・・・。

 

 

自分がいる眼鏡シーンの本当の事が知りたくて、この1年間に色んな方に会わせて頂きました。
V MAGAZINEという眼鏡誌のお手伝いをさせて頂いているので、会いたかった方に取材に行けるようになりました。
自分が会いたいのは時代を作った最初の方や、困難な道を切り拓いた方。
そういう方はあまり表に出てこない事が多く、お会いしづらいのです。

ジョン・レノンの乱視は-4.00くらいあったとか、プラスチックフレームが一大ムーブメントになっていく瞬間に立ち会った方々がいるんです。
ゼロから1となる夜明け前の話は最高にスリリングです。
夜が明けてしまうと何が本当であったかがボヤけてしまいます。

そんな出会を通して何故あの時、メガネナカジマにしたのかを少しだけ見つけられたような気がしています。

 

 

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