Platoy by Akira Ishiwatari
イタリアから「PLATOY」が入荷したことをメガネナカジマのインスタグラムにてお伝えいたしました。
そもそも「プラトーイとは何だ?」と思われている方も多いかと思います。
ここ15年の日本の眼鏡シーンを見てきた方でも、ブランド自体を知らなかったりする方もいらっしゃるはず。
しかし、プラトーイは世界のブティックアイウェアブランドがこうなった、最初の最初を知る最後のブランドかも知れません。
まずPLATOYはAkira Ishiwatari氏がデザインするイタリア生産のブランドです。
イタリア生産と言っても、日本製の生地や丁番を使用していることから不思議な立ち位置にいます。
ヨーロッパブランドでこんな面倒な事をしているブランドは皆無で、その製法の妙も魅力の一つです。
Ishiwatari氏は日本人なのですが日本には代理店が無く、海外の展示会に買い付けに行ったバイヤーさんが仕入れるしか方法がありませんでした。
しかし今春のVOS TOKYOで久しぶりに日本参戦を果たし、メガネナカジマでも仕入れを敢行しました。
↑の画像はエルトン・ジョン氏なのですが、ナイトもプラトーイを愛用しています。
L.A EYEWORKSの直営店で買われたそうです。
L.A EYEWORKSのオンリーストアではなく、セレクトも充実しています。
(L.A EYEWORKのマーゴ&ゲイのお話もまた今度)
日本人の”デザイナー”として世界で活躍しているのは、もしかしたらAkira Ishiwatari氏だけかも知れません。
昨年、3月21日のブログで書いたのですが、世界にセンセーショナルに飛び出した「BADA」という東京発のブランドがありました。
Ishiwatari氏はBADAの創設メンバーで、日本の眼鏡が世界に飛び出した最初から現在までを唯一知る人物です。
80年代の世界的なブティックブランドの台頭を、肌で感じた”現存”する日本人はまずいないと思われます。
一緒に写っているLinda deplacieさんは、BADAをパリの眼鏡見本市「SILMO」の階段でBADAを売ったという伝説があります。
元々スーパーモデルとして、東京のランウェイを歩いていたTOPモデルでした。
彼女が日本製の眼鏡を初めて世界に紹介し伝播させた人物です。
今でもLindaさんはヨーロッパの超敏腕エージェントとして活躍しています。
私の個人的な考えですが、90年代後半くらいまで日本の眼鏡シーンはかなり良い感じだったと思います。
00年代以降、主にメディアとショップが”コンセプトショップ”なる魔法のコトバを使い、眼鏡シーンを思考停止にさせてしまったと思います。
いつも言っていますが、”TOKYO”から再スタートを始めなければならないと思います。
Ishiwatari氏を除けばPLATOYに一番詳しい日本人は私だけだと思うので、今後も紹介していけたらと思っております。
中島 正貴
有限会社スクランブル 代表取締役
1999年にメガネ業界に入る。新宿の紀伊国屋にあった三邦堂(閉店)でドイツ式両眼視測定を学ぶ。2006年よりメガネブランド「GROOVER」を立ち上げ、国内外の展示会へ出展する。2011年より世界初のレンズカスタムレーベル「GOODMAN LENS MANUFACTURE」を立ち上げる。2016年より世界のアイウェアシーンで有名なアイウェアマガジン「V.MAGAZINE」、アイウェアエキシビジョン「V.O.S」の日本開催権を取得。ネコ・パブリッシングの協力により「V.MAGAZINE JAPAN」の刊行と、「V.O.S TOKYO」を開催する。2021年には日本発のスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」を発表。2022年、メガネの「ホントにミニマムな国際展示会RAMBLE」を7年ぶりに復活。2023年、5坪のメガネ屋「陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN」を表参道にオープンさせるなど精力的に活動中。
職歴
・メガネナカジマ代表
・陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN オーナー
・GROOVERデザイナー
・GYARD主宰
・XAZTLAN(ザストラン)ファウンダー
・東京セイスターグループ理事
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