New&Old
恐らく15年以上ぶりに突然遊びにきた同い年のお客様は、山口でイタリアンレストランをオープン。
オーナーシェフとして活躍しているようです。
山口県下松市のレストラン → Agio
彼は岩手県出身なので、なぜ山口県?となるわけですが、そういうところが彼っぽいなと思うわけです。
いつもフラっとメガネナカジマにやってきては眼鏡の調整をしたり、買って頂いたり壊してきたりと印象深いお客様でした。
当時の自分は年間360日は働いているような生活で、同い年の彼も似たような生活をしていました。
月に1回か2回ある休みに疲れた顔してやってきては、近況報告し合う感じでした。
恐らく20代のあの頃で「自分と同じくらい働くな」と思ったのは彼ともう一人くらいでしょう。
山口でお店をオープンさせる数年前まで月500時間以上も働いていたと言っていたので、もはや鉄人の域です。
私は30歳を過ぎて少し仕事量を減らしたので、もうそこまでは働いてませんが今では大切な経験で財産になっています。
本当にがむしゃらに働いた20代の良き相談相手でもありました。
「当時の給料はそれほど高くなかった」とおっしゃっていましたが、良い眼鏡をたくさん買って頂きました。
今では取り扱いのないブランドですが、A’ROSSVYもそのうちの1本です。
A’ROSSVYのデビューイヤーは全く売れなかったそうです。
私はそのデビューイヤーの展示会で買付て、ウェブサイトで宣伝したところ大ブレイク。
追加で約50本ほど仕入れても売り切りました。
次の年も不調だったようですが、メガネナカジマでは絶好調。
個人の眼鏡店はウェブサイトもままならい頃でしたが、インターネットは一般の方も使いこなし始めている時期でした。
そんなお客様に受け入れて頂いたように思います。
4年目くらいからブランド全体が盛り上がったそうで、そうなると個人店は面白くありません。
今では取り扱いを辞めてしまいましたが、当時は私も思い入れのあるブランドでした。
販売させて頂いてから15年以上経過してるので、それなりのダメージがあります。
キズ消しや磨き、メンテナスをして復活。
オーナーさんに喜んで頂きました。
こんな瞬間が仕事をしていて一番嬉しいときかもしれません。
また、自分がそれだけ眼鏡屋として過ごしてきたという実感でもありました。
メガネナカジマで働き始めて旧店舗で10年、改装後の今の店舗で10年が経ちました。
最初の10年は本当に苦しくて辛くて2度と戻りたくない日々です。
この10年も多くのチャレンジをしてきましたが、忍耐の日々だったと思います。
次の10年を考えている余裕はありませんが、また大きく進歩させようと目論んでいます。
先日のスーパーマシンの導入もそうですが、メガネ作りへのアプローチをもっと高度化させて良い眼鏡を作りたいと思っています。
日々の仕事をしながら、プラスアルファでずっと取り組んできた少しづつの積み重ねだとも思っています。
冷静に考えると、周りを見ても誰もいない変なところへ来てしまった感覚です。
中島 正貴
有限会社スクランブル 代表取締役
1999年にメガネ業界に入る。新宿の紀伊国屋にあった三邦堂(閉店)でドイツ式両眼視測定を学ぶ。2006年よりメガネブランド「GROOVER」を立ち上げ、国内外の展示会へ出展する。2011年より世界初のレンズカスタムレーベル「GOODMAN LENS MANUFACTURE」を立ち上げる。2016年より世界のアイウェアシーンで有名なアイウェアマガジン「V.MAGAZINE」、アイウェアエキシビジョン「V.O.S」の日本開催権を取得。ネコ・パブリッシングの協力により「V.MAGAZINE JAPAN」の刊行と、「V.O.S TOKYO」を開催する。2021年には日本発のスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」を発表。2022年、メガネの「ホントにミニマムな国際展示会RAMBLE」を7年ぶりに復活。2023年、5坪のメガネ屋「陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN」を表参道にオープンさせるなど精力的に活動中。
職歴
・メガネナカジマ代表
・陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN オーナー
・GROOVERデザイナー
・GYARD主宰
・XAZTLAN(ザストラン)ファウンダー
・東京セイスターグループ理事
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