レジェンドたちの回顧録 後編・リュネットジュラ 高橋一男さん

1989年にオープンしたリュネット・ジュラ。オープンまでの経緯を聞いた前編に続き、後編では、90年~00年代にブティックブランドやコンセプトショップが盛り上がるなかで、そのシーンをどう見てきたのか。また、今の眼鏡業界に思うことなどについて訊いた。

コンセプトショップブームを迎えて

90年代には、ジュラやロイド(オプティシァン・ロイド)がコンセプトショップの先駆けとして人気を博していきました。その流れが他の店にも波及していったのは、いつぐらいになるのでしょうか。

高橋 ジュラを始めて3~4年目ぐらいじゃないかな。眼鏡店さんが、店舗を見に来るようになったんですよ。ずいぶん話し込んだりもしましたね。京都のオーグリーさんや、名古屋のハバナミュージアムさんは、それ以来ずっと仲良くさせてもらってます。あと、カムロの禿さんは、当時から今もお互い影響し合っているような感じがしますね。

最初は皆さん、“同士”という感じもあったかと思うのですが、それからコンセプトショップがだんだんと増えていって。途中から、「少し増えすぎてきたのでは」という感覚はありませんでしたか。

高橋 お店が増えていく状況を見ながら、「果たしてこれで、うまくやっていけるのかな」とだんだん危惧するようにはなりました。というのも、うちみたいなお店をやろうとしたら、それ相当のマーケットがないと難しいんですよ。ジュラがなぜ同潤会の3階でできたかといえば、表参道には日本中から人が集まり、マーケットが広いからなんです。そうでない場所では、ひとりよがりな店になってしまいかねないでしょう。実際に、同じことをうちの横須賀のお店でやっても、うまくいかなかったですから。場所が不便なら、それでもお客様が来るぐらいの商品をもっていないと、難しいんじゃないかと思っていましたね。

ジュラは、「他にはないブランド」を紹介することで支持を得たわけですが、90年代後半から00年代にかけて、「このブランドを置いていると売れる!」みたいなインポートブランドも出てきました。初期のic!berlin(アイシー!ベルリン)などは、そのひとつだったと思うのですが。

高橋 当時のtheo(テオ)も圧倒的でしたね。そうすると、今度はお店が同一化されてしまうんですよ。現在は、どこも自分のお店をお客様にどう提案するのかが、非常に難しい状況になっていると感じます。より突き詰めて絞っていくのもひとつですが、それがマーケットのなかで価値をもっていなければ、先細りになってしまうし。今、うちみたいなカラフルな眼鏡店さんがいなくなってきているんですよね。

たしかに、そう感じます。

高橋 クラシックでメンズっぽいカラーが多く、女性もそうしたものを掛けていますよね。でも、それだとどこにでもあるものになってしまう。今、製造小売りの勢いがすごいじゃないですか。店を日本中に出して、日本人を全員その顔にしようという考え方。それはそれで、すごいと思います。でも僕らはそれができないし、やろうとも思わないから。お客様が知らないもの、気が付いていないものを自分がどうやって探し出すかが、非常に大切になっているなと感じます。

トランクショーやセールも、単にやるだけではだめなんです。自分の店でそれをやることで、お客様にどういう喜びやメリットを与えられるかをもう一度よく考えて。考えた結果、やるべきはトランクショーでないことだってあるかもしれない。セールだって、割引きだけでない価値を訴求する必要があるんです。これは今、僕らが一番考えなくてはいけないことだと思っています。

海外のブティックブランドが盛り上がった1990年代

いったん過去の話に戻りたいのですが。日本のみならず、1980年代後半から90年代は海外でもブティックブランドが盛り上がっていたようですが、そうしたムードは肌で感じていましたか。

高橋 そうですね。僕がシルモ1毎年秋にフランス・パリで行われる世界最大級のメガネ見本市。世界中のメガネブランドが集結し、メガネ界のアカデミー賞と言われるシルモ・ドール獲得へ向け、毎年世界中のメガネデザイナー達が研鑽しているに行き始めた頃は、大きなブランドもたくさんあったけれど、会場の隅っこのほうの小さなブースにも、おもしろいブランドがたくさんあったんですよ。たとえば当時のKIRK ORIGINALS(カーク・オリジナルズ)なんかは、とても印象的だったなぁ。一人でブランドを立ち上げて、デザインもしてっていうところが結構出てきましたね。

その少し前になりますが、日本からは1984年にLunetta BADA(ルネッタ バダ)がシルモで紹介され、世界のブティックブランドブームの火をつけたと聞いたことがあります。

高橋 あぁ、バダ。新鮮だったですよね。クラフトマンシップがあったりして。表参道のビブレにあったお店も、普通の眼鏡店の発想と違いましたし。僕はその1984年にはまだシルモに行っていないけれど、バダの影響もあって「自分が作りたい眼鏡を作るんだ!」という人たちが一斉に出てきたのかもしれません。

それが、90年代の10年間続いていたんですね。

高橋 そうですね。あの当時の勢いはすごかったですよ。「こんなのあるの?」っていうのが、たくさん出てきましたから。

ですが、「2000年以降はその勢いが見られなくなってきた」という話を、以前高橋さんからお伺いしたことがあります。その原因はどう考えていますか。

高橋 一番の理由は、ブランドが成功してしまったことでしょうね。先ほど言ったような小さくスタートしたブランドがある程度大きくなってしまって、デザイナーが自分で自由なことができなくなってしまっているでしょう? だから、こちらがデザインを見ても感動が少ない。

たしかに欧米のブランドは、いわゆるブティッブクランドと言われていたところも、ほとんどファンドが入ってきています。

高橋 そう。ブランドに価値をつけたら、売ってしまう。その後新しいブランドを立ち上げるならいいけれど、業界から姿を消している人も少なくないんですよね。それが、なんだかなぁと。でもきっとまた新たに出てくるとは思うんです。最近だと、Midoに小さいブランドが並んでいるスペースがあって、あそこがおもしろい。そこで新しいブランドを見つけ始めています。

1990年から約30年経ち、一周巡った感じなんですかね。

高橋 日本ではコンセプトショップがわーっと出てきて、今では頭打ちになり、おさまってきているじゃないですか。同じように世界でも、最初は先進的なデザインだったものが一般化されてきて、人の捉え方も変わってきたということなのでしょう。ますますデザインが皆同じようになっていくなかで、何が重要かといえば、お客様が知らないコトやモノを見つけ出すこと。売る方も作る方も、今はその努力が足りないんじゃないかと思うんです。

眼鏡店を白衣の頃に戻してしまうのか


高橋 業界全体が盛り上がらなくなってきたのは、小売店の責任も大きいでしょう。現在非常に気になるのが、「認定眼鏡士」だけを売りにしている店が多いように感じられることです。もちろん、技術の勉強なしに眼鏡店の役割は果たせません。視力で困っている方々はたくさんいらっしゃいますから、私たちはますます勉強しなければならないと思っています。
しかし、「認定眼鏡士」という肩書だけでなく、そこにフェイスファッションとして、お客様に眼鏡をより大好きになっていただくような提案ができないと、ますます眼鏡店が昔に逆戻りしてしまいます。

たしかに、そればかりがコンテンツ化するのは良くないですね。

高橋 これでは、白衣を着ていた頃と同じでしょう。以前、海外メーカーの人に「なんで日本は眼鏡のコンセプトショップが増えているんだ?」と聞かれたことがあるんです。僕は、こう答えました。「それは、日本には資格がないからだ」と。資格で守られているわけでもなく、保険があるわけでもない。だからこそ自由に発想できて、“どうやってお客様に喜んでもらうか”を真剣に考えているのだと。でも、今は違ってきているみたい。

あと、レンズの価格も高くなってきているでしょう? お店を始めた頃、不思議に思っていたんです。なぜ、度数が強かったり、乱視が入ったりするとレンズの価格が高くなるのかと。そういう人ほど、眼鏡が必要なわけじゃないですか。ですから、ジュラではレンズの種類を絞って、うちが勧めるレンズだけを提示して、金額はその代わり一般的な価格より3割ほど安くしていました。メーカーを絞れば、小さな店でも仕入れの面で強くなれますから。ところが、最近レンズが高くなってきて、ある製造小売り眼鏡店でブルーライトカットが売れたら、一斉にレンズメーカーも始めたじゃないですか。新しいものが出るたびに単価を上げてレンズで儲けようとしたら、先細りになっていくんじゃないかと危惧しています。

若い人たちにも眼鏡の楽しさを伝えたい

現在、たびたびお店から聞かれるのは、次世代を担う人材の不足です。40代までは多いけれど、その下となると少ないのではないかと感じています。

高橋 弊社も現在20代のスタッフは1人だけです。その世代というのは、顧客層も少ないんですよ。その理由は、やはり眼鏡の価格が上がり過ぎているからだと考えています。今だとインポートのフレームが、5~6万円するでしょう。以前は、トラクションでも3万円台で買えましたから。これには、困っているんです。日本の場合は若い人の給料も上がっていないですから、買えないですよ。

インターネットがある今は、以前に比べ情報は豊富なのですが。

高橋 たしかに、ネットですべて見られますし、買うこともできますよね。ネットの情報量はすごいけれど、でも、実際にそこに物があるかどうかとは大きく違うと思うんです。実際に物を用意して、見てもらう。それは小売店のひとつの大きな役割だと感じています。

……今の若い人は、知らないんだよね。眼鏡というものの楽しさを。だから、その楽しさをこちらが作っていかなければならないですよね。でも、その方法は正直まだ僕もわからないです。だからこそ、やっぱり探すしかない。その点で、接客ってやっぱり大きいんですよ。お客様とのやり取りに、ヒントがある。それにどう気がつくかでしょう。

あと、今はコロナ禍で皆2年ほどおとなしくしていますよね。コロナが終わったとき、これから何か新しいものが出てくるんじゃないか。そんな期待を、じつは抱いているんです。

 

 

Lunettes du Jura [リュネット・ジュラ] 青山グラン店
日本におけるインポートメガネのパイオニアであるメガネ店。東京・神奈川に4店舗を展開。海外メガネブランドを日本に紹介し伝播させた功績は計り知れない。メガネ業界人もオーナーである高橋氏を慕う人が多い。

東京都港区南青山2丁目12−1 ミヤコヤビル
03-3401-4446 ウェブサイト

 

 

 



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