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年始から”時計電池交換”の看板を掲げようと試行錯誤しておりました。
メガネナカジマの二十数年前は「時計・メガネ・宝石 ナカジマ」というよくあった町の兼業店でした。「メガネナカジマ」になって以降も時計の電池交換やバンド交換、修理を今まで細々とは続けておりました。
メガネ専門店にした当時、写真店やクリーニング店、スーパーなどでも電池交換を始めたところが多くなったので、あまり積極的に看板などは掲げず今までいらして頂いていたお客様がお困りにならないようにといった程度でした。
しかしこのところ状況が変わってきまして、電池交換をするお店が激減。
携帯電話・スマホなどの普及の影響か、時計電池交換のニーズが減ってしまったようです。
ましてすぐにその場で交換できるという時計店も絶滅寸前です。
ご高齢の方は行動範囲が限られるので、もう一度ちゃんとインフォメーションをしようと決断。3ヶ月掛かりましたが「電池交換看板プロジェクト」は昨日完結致しました。
ここへ至るまでには紆余曲折がありまして、看板を作ろうと3社ほど見積もりを取りました。しかし、いずれも残念極まりないデザインでの見積もりが続きました。
これはダメだと、いつも一緒に仕事をしているDESIGN BUILD STUDIO Incの笠井さんに相談。イメージ通りの看板に仕上がりました。
メガネナカジマの創業者である父は「一級時計修理技能士」の第一号でした。
ですので父は眼鏡や宝石よりも時計修理職人だったわけです。
小さい頃から私は「時計屋の息子」と呼ばれることが多く、幼稚園の卒園アルバムの将来の夢は「時計屋」と書いてありました。
しかし時は経ち、そんなことは全て忘れてまして好き勝手生きてきたわけです。数年前に父は病気で他界したのですが、闘病が長かったので割と長く色々と話す機会がありました。
最後に母と3人で外食できたことがあって、そのときに「もういつ店をやめても良いから好きに生きなさい」と言われました。結婚もして子供もいて後戻りも出来ない歳になっての一言でした。「眼鏡の修行はこれで免許皆伝」と言われた日も、その日の夕飯の時に二人の師匠から「もう眼鏡屋をやらなくていい」と言われました。そんなに自分は向いてないかなぁと思うんですよね。
父が亡くなったあと、色々思い返すと幼き頃の夢は「時計屋」なんですよ。やっぱ。
けどもう自分は眼鏡屋道に突き進んでしまったので、どうすることも出来ません。
私も簡単な修理は出来ますが、機械腕時計のオーバーホールは出来ません。
父が丁稚している時の先輩の方が修理関係をバックアップしてくれておりまして、メガネナカジマに時計修理のオプションを再び加えることが出来ました。
少しづつ出来ることを増やせるよう、日々七転八倒中です。
中島 正貴
有限会社スクランブル 代表取締役
1999年にメガネ業界に入る。新宿の紀伊国屋にあった三邦堂(閉店)でドイツ式両眼視測定を学ぶ。2006年よりメガネブランド「GROOVER」を立ち上げ、国内外の展示会へ出展する。2011年より世界初のレンズカスタムレーベル「GOODMAN LENS MANUFACTURE」を立ち上げる。2016年より世界のアイウェアシーンで有名なアイウェアマガジン「V.MAGAZINE」、アイウェアエキシビジョン「V.O.S」の日本開催権を取得。ネコ・パブリッシングの協力により「V.MAGAZINE JAPAN」の刊行と、「V.O.S TOKYO」を開催する。2021年には日本発のスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」を発表。2022年、メガネの「ホントにミニマムな国際展示会RAMBLE」を7年ぶりに復活。2023年、5坪のメガネ屋「陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN」を表参道にオープンさせるなど精力的に活動中。
職歴
・メガネナカジマ代表
・陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN オーナー
・GROOVERデザイナー
・GYARD主宰
・XAZTLAN(ザストラン)ファウンダー
・東京セイスターグループ理事
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