メガネ産地”さばえ”の奇人か、稀代のアーティストか!?

メガネ産地”さばえ”の 今

日本のメガネフレームの90%は福井県で生産されています。”さばえ(鯖江)”と聞くと「メガネ」を思い浮かべる方も多いハズ。この20年、メガネ生産は安価な中国製品に押され、他の業種と同様に国内生産は減ってきています。
それでもメガネ生産の現場には、多くはありませんが若い方がいるのが救いであり、日本製にこだわる海外ブランドからの生産依頼もまだまだあります。

世界的なコロナウィルス感染拡大によって、メガネ産地”さばえ”は非常に苦しい年となりましたが、何とか開催することが出来た「iOFT2020」(国際メガネ展)を契機に盛り返していきたいところです。

突如として現れた老舗メガネ工場の三代目 竹内也人さん

1964年創業の株式会社サンオプチカルの三代目である竹内也人さん。鯖江市で半世紀続くプラスチック専業工場で、分業が主流であるメガネ工場において、サンオプチカルさんは一貫生産できる数少ない工場です。保守的な鯖江の生産地の中にあって、見た目どうりの自由人。かなり異色な存在です。

竹内さんが家業であるメガネ工場を継いだのは、おおよそ10年前だそうです。それまで新潟で機織りの仕事をしていたそうで、メガネ工場を継ぐ気は一切なかったと言います。創業者である祖父と最後に交わした会話をきっかけに、鯖江へ戻ることを決めたそうです。

遺言とも言える祖父の「サンオプチカルを継いでくれ」との最後の言葉に「おじいちゃん、オレは継げないよ」と断ったと言います。
その後、心境の変化があり家業を継ぐ決心をしたそうですが、普通に考えるのであれば断れなさそうな雰囲気になって、継ぐ決意をしそうなものです。そこが竹内さんが”奇人”と言われる所以であるのかもしれません。

本人いわく「嘘でもいいから”継ぐ”と言っていれば、継ぐことは無かったですね」とのこと。

 

 

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