BADA 4EVER
「V MAGAZINE」という眼鏡を通して見た視点から、ライフスタイルを見渡す雑誌の制作をお手伝いしています。
香港が本家の雑誌なのですが、世界の眼鏡シーンで一目を置かれる存在となっており、2年前に香港に乗り込んで直談判し日本版の発売にこぎつけました。
日本版はネコ・パブリッシングさんの全面的なサポートを受けて、ライター&カメラマンの仲間にフォローして頂き、先日VOL.002の発売に至っています。
日本版は独自取材により構成されていて、私は企画立案に携わっています。
ライティングや写真の撮影、構成&デザインはプロにお任せで、とても良い感じのポジションでやらせて頂いております。
紙面上でLunetta BADA(ルネッタ バダ)という80年代に台頭したジャパンブランドの特集を数ページ組みました。
眼鏡→アイウェアとしてファッションのアイテムになれたキッカケのブランドです。
アイウェアが急上昇し、私達が華やかに感じたシーンの元祖と言って良いでしょう。
吉川晃司さんが掛けていたサングラスと聞けばピンっと来る方も多いかもしれません。
残念な事にBADAは7~8年という短い期間で消滅してしまったのですが、日本の眼鏡シーンに多大な功績を今でも残し続けています。
そう全ては84年の”東京”で始まったのです。
82年からヨージ・ヤマモトさんの専属モデルとして東京にやってきたベルギー人のスーパーモデルのリンダは、東京 表参道のビブレ21で衝撃的な出会いをしました。
表参道にビブレ21があった時代なので、30年以上も前に話は遡ります。
その衝撃的な出会いこそがBADAです。
84年、彼女は世界最大の眼鏡展示会「SILMO」いたそうです。
手には自分で購入した数本のBADAと資料ファイル持っていました。
そして、この84年のSILMOで伝説が生まれます。
彼女は出展ブースを持たず、階段でBADAを紹介したそうです。
スーパーモデルの彼女は目立つ存在だったので、自然と人が集まったと言います。
しかし彼女の存在以上に、BADAは衝撃的で当時のヨーロッパのバイヤー達は”Oh My GOD”の連発だったそうです。
84年、日本の眼鏡がセンセーショナルに世界へ飛び出した瞬間でした。
それ以前に日本の眼鏡が世界でトピックされたことが無く、この瞬間が日本の眼鏡シーンにとっての転機となりました。
おそらく00年代以降でBADAが雑誌やネットで特集される事は初めてでしょう。
そしてリンダが紹介されることも。
リンダは現在、世界トップクラスのアイウェアエージェントです。
BADAに関わった海外スタッフは今でも世界の要所にいる方が多く、莫大な財を築いてリタイアしている方も少なからずいるそうです。
そんな夢のような東京発のブランドがあったのです。
BADAのスタッフだった石渡氏は当時の国内外の反応は熱狂だったと言います。
ヨーロッパを飛び越えアメリカでも大ブレークするほどの勢いでした。
BADA以降、日本のブランドが続々と海外進出し、今の日本製眼鏡の評価に繋がっているのです。
2013年、リンダの階段伝説を真似して私もSILMOへGROOVERを持って行きました。
あいにく何もフックしなかったので、翌2014年にSILMOへ初出展。
そこでようやく多くの評価を頂けましたが、2013年の挫折は良い経験でした。
BADAは白山眼鏡店の分裂から誕生したブランドです。
白山眼鏡店とLunetta BADAが同紙面上に特集が組まれることも異例だと思います。
知っている方は”禁断”とも言いますが、白山將視社長は全てを受け止め取材を受けてくれました。
白山眼鏡店が眼鏡雑誌の取材を受ける事も異例なことらしいです。
このパンドラの箱を開けないと本当の意味での眼鏡カルチャーが根付かないと思っています。
大袈裟かもしれませんが、東京アイウェアシーンは業界人に無視し続けられていたのかもしれません。
まだまだ現在進行形で時効になっていない事も多く、ほんの一部しかご紹介出来ないのですが、ひとまず自分が取材を続けた5年間の触りだけでもご覧頂ければと思います。
全ては”東京”から始まりました。
そしてここ数年のアイウェアの震源地は”東京”なのかもしれません。
眼鏡業界人があまり気付かないところで、既にムーブメントが始まりつつあります。
そんな片鱗をV MAGAZINE JAPANのVOL.001&002を通して垣間見せています。
多分、新しいムーブメントはショップからスタートすると思います。
既存のショップではなく、アップカマーの到来を予想しています。
その時まで少しお待ちくださいませ。
中島 正貴
有限会社スクランブル 代表取締役
1999年にメガネ業界に入る。新宿の紀伊国屋にあった三邦堂(閉店)でドイツ式両眼視測定を学ぶ。2006年よりメガネブランド「GROOVER」を立ち上げ、国内外の展示会へ出展する。2011年より世界初のレンズカスタムレーベル「GOODMAN LENS MANUFACTURE」を立ち上げる。2016年より世界のアイウェアシーンで有名なアイウェアマガジン「V.MAGAZINE」、アイウェアエキシビジョン「V.O.S」の日本開催権を取得。ネコ・パブリッシングの協力により「V.MAGAZINE JAPAN」の刊行と、「V.O.S TOKYO」を開催する。2021年には日本発のスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」を発表。2022年、メガネの「ホントにミニマムな国際展示会RAMBLE」を7年ぶりに復活。2023年、5坪のメガネ屋「陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN」を表参道にオープンさせるなど精力的に活動中。
職歴
・メガネナカジマ代表
・陽ハ昇ル GROOVER×XAZTLAN オーナー
・GROOVERデザイナー
・GYARD主宰
・XAZTLAN(ザストラン)ファウンダー
・東京セイスターグループ理事
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