メガネを本気で楽しむ

本当に好きなメガネとは何であるのか?

27歳のときに、メガネナカジマのプライベートブランドとして「GROOVER」を立ち上げました。
プライベートブランドと言えば聞こえが良いのですが、とにかく自分の掛けたいメガネで仕事をしたかったんです。当時は今ほどメガネを生産するハードルが低くなかったので、銀行から借り入れしないと作れないほどの初期投資が掛かりました。

メガネ屋になって最初の頃は、国内外のメガネブランドを見ては「スゲェ~」ってなっていましたが、だんだん分かってくるんです。メガネデザイナーと呼ばれる方々の背景とか人物像が分かってくると、さらに思うところが沢山ありました。そして人がデザインしたメガネを掛ける事が、凄まじいストレスに。

後になって、自分でブランドを作って全国のメガネ屋さんに売りに行って身に染みて分かるのですが、色んな事情でデザインがつまらなくなっているのだなと。
あるメガネデザイナーさんが雑誌のインタビューで、そのことについて半ば恨み節のように語っていたんですが、

「自分的にはデザインは完璧で、思いの全てを詰めたファーストコレクションが全く売れなかった。そこで次のコレクションは徹底的に市場をリサーチして、”売れる”コレクションを作り上げた。そして10年以上、生き残っている」

分かります分かります、本当にこれが本音だと思うんです。
サカナクションもKING GNUも同じことを言っていました。

そのブランドのファーストコレクションは私も凄いなと感じていて、興味がありました。
しかし、次のコレクションから完全にマーケットを意識したデザインに変貌し、興味を失ったのを鮮明に覚えていました。裏にこんな苦労があったことも、かなり時間が経ってから知るわけですから当人にしか分からない葛藤も多かったと思います。

そのブランドは順調にセールスを伸ばし、海外でも活躍するブランドに成長していきました。
売れなきゃ食っていけないわけですから、当たり前の妥協と言えるでしょう。

海外で評価されるとなれば聞こえが良いのですが、実のところ日本も海外もバイヤーの保守的なマインドに変わりなく、「無難に売れるブランドを作ってくれれば買うよ」ってのが日本ブランドに求められて来た20年だったのは事実でしょう。

しかしここ数年、変化が起きており急激に日本ブランドが衰退しつつあります。
今年はMASAHIRO MARUYAMAさんが大きいアワードを受賞したり、世界の流れは日本人デザイナー云々で語れないくらいちょっと複雑です。
世界のメガネシーンの流れは、体系的に日本で分かっている人がかなり少ないので、機会があればbootで書けたらと思っています。

 

最初に作ったモデルは完璧だった

GROOVERの最初のモデルは「SEDONA」と言います。羽のモチーフから、今でもネイティブインディアンから影響を受けていると思われがちです。
私はGROOVERのデザインやモデル名について、あまり詳しく語ってきませんでしたので、どうのように感じられても良いのです。先入観を持たずにメガネを見て欲しいという想いがあるのと、ほぼインスピレーションだけでデザインしているので、自分でも上手く語れないのです。

「SEDONA」は今でこそ有名なアメリカの観光地ですが、これをデザインした2004年当時は誰もセドナの地を知りませんでした。私は「世界一、UFOに遭遇できる場所」という記事を中学生の頃に読んで以来、ずっと行きたい場所でした。その願いは2008年に叶いました。

そんな感じでデザインやモデル名にインスピレーションを受けていて、ヴィンテージのメガネや他のブランドのメガネを参考にすることはありませんでした。

GYRADのマスタークラフトマンからのプレゼント


2015年にメガネ作りを自社でやろうと、メガネ工場を作りました。これも生産を外注にすると、思い通りに仕上げてくれないというストレスから、危険な一線を超えたわけです。完全に踏み越したなっていう危うさは自分でも感じましたが、内なるクリエーティビティーは止まりません。

メガネ作りは福井県鯖江市が有名なのですが、100年以上前に農閑期の仕事としてメガネ作りを教えたのは東京と大阪のメガネ職人だったそうです。そんな流れを汲む、東京のメガネ作りは2011年に最後の工場が閉鎖され途絶えてしまいました。その工場の工場長や職人さん達に声を掛けて「GYRAD」という自社工場を横浜に作りました。

工場を作ってまもなく、GYRADのマスタークラフトマンであり親方でもある渡邉さんから、膨大な数のスクラップ集を頂きました。それは「フルメタル」「サーモント」「ブロー」「オールプラ」が切り抜いて編集されていて、これがとんでもない量なんです。パラパラ見ていると、どうしても「サーモント」タイプのメガネに目がいくんです。大好きなんですサーモントメガネ。それを見ていたら、どうしても作りたくなってしまったのです。

当初、オールプラスチックのみしか生産できない設備で、設立も間もなく資金が底を尽いていました。苦しかったのですが、更に銀行借入れをしてプラスチックとメタルのコンビネーションを作れる設備を導入しました。

そして最初に作ったコンビネーションモデルが「FRANKEN」。仕上げてくれた職人の方達に感謝しつつ、自己満足な達成感がありました。FRANKENは発売当初から高い評価を頂いたのですが、サイズが小さいことでバイヤーの方から敬遠されることが多くセールスは伸びませんでした。

しかしそのあと、このFRANKENは大事件を起こすのですが、このお話もちょっと凄いので今度のお楽しみ。

 

GROOVERの中で一番の会心モデル


「どのモデルが一番好きなデザインですか?」「会心のデザインを一つ挙げるとしたら?」と、
海外の取材でよく聞かれることなのですが、迷いなく「AURA」と答えています。恐らくAURAに似たモデルは過去にも見たことはありませんし、AURAに似たデザインが出てるよって話も聞いた事がありません。

AURAはずっと頭の中にあったんですが、上手くデザインに出来なかった構造でした。しかし突然、スラスラとデザインすることが出来ました。全然セールスは良くなかったAURAですが、GROOVERを充分に印象づけるモデルとして役割を果たしてくれています。

APOLLOをデザインした時と似た感覚だったと思います。

 

こんな事があるんだなぁ


先日、作家の川端裕人さんが出演されたABEMA TVのニュース番組「アベプラ」を観ていたら、カンニングの竹山さんと川端さんが偶然にもGROOVERを着用してご出演されていました。

【色覚異常】「独特の色使いと言われていた」当事者が語る“色覚異常” そもそも見え方は人それぞれで“多様性“?デザインや職業選択も変化しつつある時代へ|

ご当人同士は面識がないと思いますが、こんな事が起こるんだなぁと感慨に耽っておりました。
しかも私達の仕事に近い「色覚」のお話での番組です。

 

GROOVERを作った2006年から1年間に、メガネナカジマで売れた本数は3本。
その時はどこにも卸売をしていなかったので、年間3本しか売れなかったブランドだったのです。
しかしコアなファンの方に支えて頂きながら、ここまでこれました。

私はメガネ店をやりながらGROOVERを作っていたので、自分の作りたいデザインに向き合ってGROOVERを作ってこれました。今では複雑にビジネスが絡み合っていて、市場を見ながらデザインしていると思いきや、今でも全く自由にデザインし続けています。

また有り難いことに、それを望んでくれている方々が多いという幸せな状況です。

2021年はGROOVERが卸売を始めて10周年。つまりデビュー10周年なのであります。
春くらいから、10周年的なイベントが出来たらと考えています。
お楽しみに!

 

GROOVER SPECTACLES CRAFTSMAN SHIP

 

 

 

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