毎日、メガネ屋 2021.06.16 ~中島正貴と有限会社スクランブルがやっていること~

中島正貴と有限会社スクランブルがやっていること

メガネナカジマの店頭に私は毎日います。
今は出張もないので、毎日メガネ屋です。

店舗隣のビルの3階に加工室があって、そこに籠もってレンズ加工やフレームの修理をする事も多いのですが、メガネ屋のオペレーションの全てを日常の業務としながら働いています。


私の会社は「有限会社スクランブル」というのですが、メガネ関連の事業を複数やっておりまして、”個人経営”っぽいメガネ屋風情が色々とやっているので、社長である私はメガネ屋稼業をほっぽらかしにしているように思われていますが、実はずっとメガネナカジマにいるのです。

有限会社スクランブルが運営している事業
・メガネ店「メガネナカジマ」の運営
・メガネ通販店「デコリンメガネ」の運営
・メガネブランド「GROOVER」の製造・企画・卸売(海外6カ国に展開)
・メガネ工場「GYARD」の運営、メガネのOEM受託生産
・レンズレーベル「GOODMAN LENS MANUFACTURE」の企画・卸売
・フリーペーパー「V.MAGAZINE JAPAN」の企画立案・監修
・メガネウェブメディア「boot」の運営・企画・コンテンツ製作
・スポーツサングラスブランド「XAZTLAN」の運営・企画・卸売


20代半ばに「帽子とサングラスの店」というコンセプトストアを鎌倉でやっていたのですが、10数年前の会社の体制では色々と無理があって撤退しました。また同時期にウェブデザインと簡単なシステム開発をする会社も立ち上げたのですが、ガラケー&iモード時代にフリーランスで仕事を受けるには少し早すぎたようで、あまり仕事がありませんでした。リスクヘッジの為に異業種への進出を考えたのですが、そう甘くなかったというよりも、”本気”になれなかったことが撤退の理由でした。廻り道をしてしましたが、それに気づいたので「メガネのことしかやらない!」と決めて、2010年以降は少しづつメガネ関連の事業を増やしてきました。

メガネナカジマは46年目、ネット通販は16年目、GROOVERは15年目、GOODMAN LENS MANUFACTUREは11年目と、割と長くやっている事業が多いです。最近では「boot」や「XAZTLAN」のようにコロナ前から構想していて、コロナ渦中でGOを出したプロジェクトもあります。

メガネ業界に従事して23年目になりましたが、8倍速くらいスピードで色々と取り組んできました。また小売・製造・卸を一貫して行っていることや、メディアを運営していることでメガネ業界の多くの事を知っています。もしかしたら業界人にとって都合の悪いことも多く知っているかもしれません。

ロスジェネでジェネレーションXなので、ずっと陽の目を見てきませんでしたが、40歳を超え少し景色が変わってきたように感じています。

今まであまり書くことを避けていて、どこへも書いていないような個人的に想うメガネの事を「毎日、メガネ屋」で書きたいなと思っています。この内容はnoteへも転載しております。


中島正貴 1978.04.10生 神奈川県在住
有限会社スクランブル 代表取締役

1999年、よくある時計・メガネ・宝石の兼業店であった実家を「メガネナカジマ」へ専門店化する。ネット通販が一般に普及する前から取り組み始め、「二十歳そこそこの若造が業界を荒らすな!」と物凄い嫌がらせを受ける。また日本におけるスポーツサングラスの創成期から、メガネナカジマではスポーツサングラスに特化させており、「カーブの強いサングラスの度付なんて掛けられたものじゃない!」と同業者から強烈なバッシングを受ける。が、常に支えて頂いたのはお客様であり、お客様が「こんなメガネ・サングラスを作りたい!」という要望が何よりの励みであった。

そんなお客様からの要望からスタートしたサービスが「GOODMAN LENS MANUFACTURE」のような世界初のカスタムレンズレーベルを生み出し、セラコートのようなリペア塗装の開始に繋がる。

また2015年には失われた東京のメガネ作りを復興すべく、2011年に廃業した敷島眼鏡(東京・柴又)のメガネ職人を再び集結させ、横浜に自社眼鏡工場「GYRAD」を設立。関東で唯一のメガネ生産工場となり、テレビ・ドラマ・映画の撮影で使われるなど、話題に事欠かない。東京のメガネ作りの歴史は日本のメガネ産地である福井県・鯖江市よりも古く、100年以上前に福井へメガネ作りの技術を教えたのは東京と大阪の職人だった。そんな東京のメガネ作りは工芸品のような手間暇が掛けられており、独特の風合いと艶が特徴である。GROOVERはそんな古来の手法を駆使して作られており、アメリカ・カナダ・フランス・香港・韓国・中国で成功を収めている。残念ながら日本への流通量は、GYRADの年生産分の20%ほどに留まっており、国内であまり注目されていないのが悩みの種である。

2019年より、かねてから構想のあったスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」の立ち上げ準備を始める。当初、VCや投資家からの出資を募っていたが、政府・自治体の助成金プロジェクトの採択もあり投資案件は一時見送りし進行中。東京オリンピックのアスリート着用も決まり、2021年10月に一般の方、バイヤーへの展示会を予定している。

 

 

 

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