さよならジャック・デュラン

先週、イタリアのメガネ界に精通している、プラトーイの石渡さんから「ジャック・デュラン氏が亡くなった」と連絡がありました。フェイスブックで友達となっているイタリア人が、いやにジャック・デュラン氏の写真を多くアップするなと思っていましたが、イタリア語が読めないので気づきませんでした。

ジャック氏は1970年代からメガネ業界に携わっていたそうです。アラン・ミクリの起ち上げに携わり、1996年からはスタルクアイズのプロダクトマネージャーも務め2008年にJacques durandブランドを設立しました。

日本では坂本龍一さんが愛用されていたり、役所広司さんがCMで着用されるなど、今でも根強い人気があります。

 

2016年に日本代理店のオファーがあった

2016年頃、Jacques durandを取扱っていた日本の代理店が整理縮小となり、代理店を辞める事になりました。知人がとても早くにJacques durandを紹介してくれたのがキッカケで、私は2008年のジャック氏がブランドを立ち上げた当初より仕入れることが出来ました。

その縁もあって、日本代理店のオファーが私にありました。今でも明確に覚えているのですが、その電話はiOFT2016の初日に掛かってきました。私は自社工場を立ち上げて最初の展示会であったこともあり、とても代理店をやる余裕がありませんでした。

オファー内容には、坂本龍一さんのビジュアル使用料も付加されていて、かなり魅力的でした。なかなか代理店をやるのは難しいなと思いながらも、イタリアの友人や、Jacques durandブランドを買収したPUNTOの友人に色々聞いたのを覚えています。代理店を出来ないなと思ったのは、坂本龍一さんが掛けていたモデルを本国のPUNTOは辞めたがっていた事で断る決断をしました。その後に引き継いだ日本の代理店が、上手く交渉してそのモデルの生産を続けていましたが、現在は生産終了となったようです。

 

ジャック・デュラン氏に会ってメガネ談義に花が咲く


2017年、Jacques durandブランドは日本で正式に代理店が決まりiOFTへ出展されました。偶然にも私達のGROOVERブースの隣です。私の記憶ですと2日目からジャック・デュラン氏が会場に来ていたのですが、それから2日間かなり長い時間を掛けて色んな話をしました。

イタリアの会社へ売却後も自分は工房でメガネを作り続けていることや、世界中で横行している産地偽装に関してトレーサビリティーを徹底している事など、とても熱く語ってくれました。3日目にGYARDのマスタークラフトマンの渡邊さんが会場に来たときは、通訳を通じてメガネ製作の熱い想いをぶつけ合っていました。

 

「君と同じくらい自分は情熱を持ってメガネを作っている」

ジャック氏は私がメガネの小売店をやってブランドを作り、自社工場まで設立したと聞くと大変喜んでいました。出来れば私達の工場「GYARD」で、日本製のモデルを作れないかと聞いてくれました。本国と調整が付かずにそれは実現することはありませんでした。

そして最終日の夕方に「私はもう60代後半だけれども、君の情熱と変わらないくらい熱い想いを持ってメガネを作っている」と突然私に語りかけてくれました。その言葉が今でも忘れられられなくて、胸に深く刻み込まれています。

私は同世代の渡邊さんと意気投合しているのかと思っていましたが、実は私のメガネに掛ける情熱も汲み取っていてくれたのです。そんなジャック・デュラン氏の訃報を聞いて、メガネに人生を捧げた彼とのエピソードを知って頂きたく思いました。

 

4.4.2022
R.I.P  Jacques Durand

 

 

note.でも連載中です。

 

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